【2023年アドベントカレンダー/12月25日】
落合公也
初めに
- このような場への寄稿にお声をかけていただけるとは思いもよりませんでした。玄冬の門をくぐろうしているときに、いまさら後進にお伝えすることもないのですが、幾ばくかの参考にでもなればと思い、筆を執らせていただきます。
- そこで、本稿では2005年に愛知県で開催され世界選手権について、JOAの世界選手権誘致委員会の委員長であった立場から、誘致の経緯、誘致活動、そして2005年世界選手権が残したものについて考えてみたいと思います。なお、途中はただの昔話なので、最後のレガシーの話へすっとばしていただくこともお薦めします。
- 今年のアドベントカレンダーの最後にこのような昔話で、末席を汚すことになることをあらかじめお詫びしておきます。
日本と世界選手権
- 日本で初めてのオリエンテーリングのイベントが東京・高尾山で開催された年が1966年です。ちょうどその年に第1回の世界選手権が開催されました。フィンランドのFiskarsで10月1日、2日に個人とリレーの競技という日程でした。私もぎりぎりこの世に生を受けていました。
- それ以降2年ごとに開催され、1976年のイギリス大会のときに、当時イギリスに留学していた杉山隆司さんの出場によって、日本人が初めて参加することになります。杉山さんがその時に納められた26位という記録は、長らく日本人最高順位として破られることのない、偉大な記録です。北欧のトップ選手とも対等に戦い、他にもヨーロッパの大会で栄えある成績を修めていた杉山さんのご活躍は、日本にも伝えられていました。オリエンテーリングを始めたばかりの小学生だった私にとって、刺激的な情報ばかりです。私にとって杉山さんはヒーローそのものでした。現代の小学生が大谷翔平やヨーロッパで活躍する日本人サッカー選手に抱く思いと変わりはありません。
- 杉山さんにあこがれると同時に、世界選手権そのものには大きな夢を感じました。選手としてその舞台に立ちたいというのも夢でした。後年には、世界最高峰のステータスを有する世界選手権の日本開催が夢になっていくのでした。
立候補のきっかけ
- 日本が世界選手権に恒常的に出場するようになってしばらくしてから、有志により世界選手権の開催の検討が何度かおこなわれていました。その検討の中でテレインの候補として愛知県内もあがっていました。
- 日本で競技性の高いテレインと言えば、だれでもが富士を思い浮かべます。当時は、今と異なりワンウェイのコースが標準であったため、トップ選手のスピードを考慮して90分のウィニングタイムを満たすためには長い距離が必要となり、テレインの面積も広大なものになってしまいます。高精度を要求される地図作成を考えるだけでも、尻込みせねばならない作業量が予想されました。
- そのような事情に日本で対処できる可能性があったのは、そこそこ白く、でも藪や急な斜面もある愛知のテレインと言われていました。
- 政府の体力つくり国民運動の一環として実施されていたころのオリエンテーリングは、とても華々しく大会が実施され、行政の指示系統の中で日本の津々浦々まで普及がなされていました。また、当時の世界的な自然回帰の志向を受けて、日本でもとても注目を集めていました。それが行政改革のあおりを受けて、財政基盤が弱くなるに合わせて社会からの注目もなくなっていきます。1990年代に入れば閉塞感が増してきました。
- 1994 年になって愛知県で報道され始めたニュースは、オリエンテーリング界の閉塞感を打破し、夢の実現を想像させるものでした。2005 年愛知万博の基本構想が発表されたのです。万博のテーマは「環境」「自然との共生」だといいいます。自然の中でおこなうスポーツ、オリエンテーリングが息を吹き返す千載一隅の機会だと思いました。オリエンテーリングと同じ方向性を持つ万博にあわせて、オリエンテーリングのビッグイベントをやれば、世間の注目を集めることができるであろう.万博という国際イベントにあわせてやるならば国際大会、しかも2005 年といえば世界選手権の年だから、やるならば世界選手権しかないだろう.そのニュースを聞いて、私の気持ちは固まったのでした。
1995年ドイツ世界選手権
- 1995年の世界選手権がドイツで開催されました。そのときはアシスタントコーチとしてチームに帯同する機会をいただきました。この世界選手権では選手・チームの側から、世界選手権の運営の内側を見ることができる貴重な機会でした。
- この世界選手権では大車輪の活躍をしていた一人の運営者がいらっしゃいました。選手の鈴木康史さんは「あんな仕事をしてみたい」とつぶやき、それを傍らで聞いた村越真さんは「やったら」というそっけない反応を返していました。もう傍らの私は万博が決まれば自分が誘致活動をするんだろうなと思いました。